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カトリック司教 幸田和生のブログです。説教メモなど

主の昇天



カリタス畑のイチゴの初モノ。不揃いだけど、甘くて美味しいです。

今日からまた非公開ミサになってしまいました。
急だったので連絡が届かず、ベトナム人の若者が6人ミサの時間にやって来ました。
ごめんなさい。

●主の昇天(祭)
 聖書箇所:使徒言行録1・1-11/エフェソ4・1-13/マルコ16・15-20
            2021.5.16非公開ミサにて
 ホミリア
 わたしが若い頃の話です。司祭として働いていた教会に、一人の男子中学生が通って来ていました。外見はその年代にしてはちょっと大人っぽくて、ませているというより、不良っぽく見えてしまう子だったのかもしれません。彼は学校の友人である信者の男の子に誘われて教会に来たのですが、そのうち、その友人と一緒でなくても教会に来るようになりました。どうして中学生の男の子が喜んで教会に来ているのか、わたしにはちょっと不思議でした。珍しいですからね。
 間接的にですが、彼がある時、母親に言った言葉を聞きました。こう言ったそうです。
 「お母さん、教会っていうのは、すごいんだぜ。神父さんっていう人がいて、どんな子どもも同じように見て、同じように大切にしてくれるんだ」
 そんなの当たり前ですよね。でも彼にとっては当たり前ではなかったのでしょう。今まで、学校でもその他の場所でも、成績や外見、素行によって判断され、「お前はだめだ」と言われ続けていたのではないかと思います。
 「どんな子も同じように見ていてくれる」
 これがまさに彼にとって、福音だったのです。彼は何年かしてその教会で洗礼を受けました。
 今日の福音はマルコ福音書で、復活したイエスが弟子たちに現れ、弟子たちを派遣する場面です。
 「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」
 「福音」ってなんだろう、って思い巡らしているうちに、あの男子中学生を思い出しました。

 イエスは二千年前のパレスチナで、「神の国の到来」の「福音」を告げました。それは「神が王となってくださる」というメッセージでした。先祖の時代から人々は人間の王(支配者)に虐げられて来ました。イエスの時代にはローマ皇帝がパレスチナを植民地として支配し、重税で人々を苦しめていました。その中でイエスは「神が王となって、あなたがたを、不正な支配者から解放してくださる」と語りました。それはまさに福音でした。神はあなたがたが苦しんでいるのを見て、知らん顔しているような方ではない。神は今まさにあなたがたを救おうとして、近づいて来てくださっている。それがイエスの「神の国の到来」のメッセージでした。
 別の言い方をすれば、イエスの福音とは「神がアッバであること」でした。「アッバ」はアラム語で子どもが父親を呼ぶ時の言葉です。「お父さん」とか「パパ」。イエスは親しみと信頼を込めて神にそう呼びかけましたし、弟子たちにもそう呼んでいいのだと教えてくださいました。「主の祈り」とはそういう祈りです。神に「アッバ、お父さん」と呼びかける祈りなんですね。
 イエスがその「アッバ」とはどういう方かを最もはっきり語った言葉は次の言葉です。
 「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5章45節)
 これこそが当時、宗教的エリートたちによって蔑まれていた貧しい人々にとっての「福音」でした。アッバである神は天の高みから人間を見て、律法の基準で採点し、あの人は合格、あの人は不合格とレッテルを貼るような方ではない。貧しいからダメだ、障がいを持っているからダメだ、あんな職業だからダメだ、女だから子どもだからダメだ、異邦人だからダメだ、神はそんな見方をなさる方ではない。本当にすべての人を例外なく、ご自分の子どもとして、かけがえのない存在として見ていて、いつくしんでくださる方だ。これがイエスの伝えた福音でした。

 今、こうしている間にも、パレスチナでは多くの大人や子どもが殺されています。
 今、こうしている間にも、香港やミャンマーでは、多くの人が自由を奪われています。
 今、こうしている間にも、入管の収容施設で難民申請が認められずに、苦しんでいる難民がいます。
 今、こうしている間にも、コロナ禍のために経済的に追い詰められていく人々がいます。
 自分たちと違う国籍だから、違う人種・民族だから、違うグループだから、どうなっても構わない、なんていうとんでもない世界が広がっています。その中で、わたしたちはすべての人が同じ神の子であり、互いに兄弟姉妹だという福音をいただいているのです。
 「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」

 一方ではわたしたちの中にも、やはり、自分はこんなに頑張っているのだから他の人たちと一緒にされたくない、というような思いもあるでしょう。自分はあの人たちとは違うとか、自分たちはあんな国・あんな民族とは違う、という思い。そしてやっぱり少しでも優位に立ちたい、競争に勝ちたい、というそんな思い。それはわたしたちの中にもありますし、そういう面をすべて否定することはできないと思います。でも、それでも、競争や勝ち負けの世界がすべてではないし、そうなってはならないのです。

 どんなに違いがあっても、神はすべての人を同じように愛してくださっている。根本のところで、すべての人は神の前に平等。一人一人に例外なく、かけがえのない神の子としての尊厳がある・・・この福音が「全世界」の、「すべての造られたもの」に届きますように、そしてわたしたち一人一人がその福音を運ぶ器となることができますように、今日、心から祈りたいと思います。
 

公開ミサ中止のお知らせ



聖堂のお花は新しくなっていますが、明日からまた公開ミサ中止になりました。
以下、そのお知らせの手紙です。

               2021年5月15日
               カトリック原町教会
               担当司祭 幸田和生

    会衆の参加するミサの中止について

 カトリック原町教会信徒の皆さま
 いつも教会の活動にご理解・ご協力ありがとうございます。
 原町教会では今年1月17日から2月14日までの「福島県新型コロナウイルス緊急対策期間」にあたり、公開のミサを中止しました。その期間が終わった後は、きめ細かい感染対策を施した上で、幸いにも主日のミサを継続することができてきました。しかし今また、この感染症の急激な拡大が起こり、福島県は昨日、県独自の「福島県新型コロナウイルス感染症非常事態宣言」を発しました。期間は5月15日〜31日です。コロナ病床使用率が90%に近づき、救える命が救えないほど深刻な状況となっているため、県民全体に「不要不急の外出自粛」が要請されています。

 司教団の「癒しのお守りオルゴナイト❤️~ゴールドの透かしモチーフと蝶々のドーナツ型♡」によれば、「国内において感染症の感染が拡大し、行政による緊急事態宣言や営業・移動の自粛要請が出された段階」では「会衆が参加するミサの中止(会衆が参加しないミサは行うことができる)。全ての信徒に対するミサ出席義務免除。原則として、上記のミサを除く全ての教会活動の中止」の対応を取ることになっています。
 このため、教区本部とも連絡を取り、原町教会では5月16日、23日、30日、主日の10時のミサを中止することになりました。日曜朝9時からの聖書講座も休みにします。昨年春の緊急事態宣言下に行なっていた「聖体拝領のみの式」も今年1〜2月の時同様、行いません。主日のミサにあずかるという信者の務めは引き続き免除されています。
 3主日分の『聖書と典礼』をお送りしますので、それを用いて、ミサで読まれるみことばを味わい、すべての人のため、特に新型コロナ感染症に苦しむ方々や医療従事者の方々のためにお祈りくださいますよう、お願い申し上げます。また幸田のブログや原町教会のFacebookページを使って「福音のヒント」や説教メモの配信をしますので、お役立てください。
なお、6月以降も国や県からの要請が続く場合は、改めて連絡を差し上げます。

 信者一人一人がそれぞれの場で、医療と命を守るために犠牲をささげましょう。
 この5月(マリアの月)、フランシスコ教皇は新型コロナ世界的大流行の終息を願って、ロザリオの祈りをささげるよう、呼びかけておられます。わたしたちの教会はファティマの聖母(記念日は5月13日)にささげられた聖堂ですので、特別に、各自でロザリオの祈りをささげましょう。病に苦しむ人のため、医療従事者のため、経済的に追い詰められている人々のために・・・
 皆さまの健康と新型コロナ感染拡大の終息を非公開のミサの中でお祈りしています。
 主がこの試練を乗り越えるための、信仰と希望と愛の力をわたしたちに与えてくださいますように。アーメン。


復活節第6主日



「お母様に」とカーネーションをいただきましたが、今日明日は母に会えないのでマリア様に。
ちなみにこのマリア様は「都の聖母」のレプリカです。

●復活節第6主日、世界広報の日
 聖書箇所:使徒言行録10・25-26, 34-35, 44-48/Iヨハネ4・7-10/ヨハネ15・9-17
        2021.5.9カトリック原町教会
 ホミリア
 第二朗読はヨハネの第一の手紙。「神は愛である」という有名な言葉が出てくる箇所です。「神は愛」、どれほど大切な、素晴らしい言葉でしょうか。
 「愛」はギリシア語で「アガペー」と言います。ラテン語では「カリタス」です。皆さん聞いたことがあると思いますが、キリシタン時代に作られたポルトガル語の辞書で「カリタス」は「ゴタイセツ」と訳されています。「大切」という日本語はちょっと不思議な言葉で、もともとは「大いに切迫する」という意味の言葉、今でいえば「緊急事態」のような意味でした。でも時代とともに今のような「大事なこと、大事にする」という意味の使い方がされるようになりました。でもとにかく、この「ゴタイセツ」という日本語は、分かりやすいと思います。「愛」とは「大切にすること」。「神は愛である」とは、神の本質が、わたしたち人間を限りなく大事に、大切にしてくださることだというのです。

 神は人間よりもはるかに偉大で、人間を超え、なんでもできる方。でも神は人間を好き勝手に扱う独裁者や専制君主のような方ではないのです。人間一人一人を、誰一人例外なく、大切にしてくださる方。そして、だから、この世界の根本にある原理は、憎しみでも暴力でも、金儲けでも、競争原理でもなく、愛なのです。
 わたしたちはそう信じています。
 現実がどんなに暴力や不正や人権侵害、利潤追求に満ちていたとしても、この世界の根本には神の愛がある。そう信じるのがキリスト信者です。
 そして、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」と聖書は言います。ヨハネ福音書3章16節です。神の愛の最高の現れは、あのイエスという方。イエスはすべての人を大切にされました。出会った人の痛みに共感し、その人の重荷を共に担い、最終的に苦しむすべての人と一つになって、十字架でご自分を与え尽くされた。そのことを通して、イエスは神が愛(ゴタイセツ)であることをあかしされたのです。

 そのイエスが最後の晩餐の席で残された遺言のような、決定的な言葉が、今日の福音の言葉です。
 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」
 イエスがとことん、わたしたちを大切にし、わたしたちのために命を投げ出してくださった、だから、わたしたちはそのイエスの愛を生きたいと願うのです。
 これがイエスの「新しい掟」です。いや、「掟」とか「命令」と言いますが、本当はそんな言葉は当てはまらないように思います。あのイエスの愛を、神の愛を知ったわたしたちは、その愛に少しでも近づきたいのです。それはわたしたちの心からの願いです。
 わたしたちはなんとかして、愛である神に近づいていきたいのです。
 なんとかして愛であるイエスに少しでも近づいていきたいのです。

 そのためにこのミサがあります。
 ミサはイエスの愛の記念です。
 前半は福音書を中心とした聖書朗読。「聖書は神様からのラブレター」だと言った人がいます。聖書の朗読を通して、神が、イエスが、わたしたちをどれほど愛してくださったかを、思い起こすのです。そして後半はパンとぶどう酒を用いてイエスの死と復活を記念します。イエスの「渡される体、流される血」を思い起こし、その体と血を見つめ、その体と血に触れ、その体と血に結ばれる。
 毎週ミサに参加し続けることによって何が得られますか?キリスト教信仰は人生に何をもたらしますか?
 お金でもない、世間的な栄誉でもありません。
 一つには、愛である神に包まれている安心感。確かにそれはあります。大切なことです。人は不安や恐怖が原因で、人に攻撃的になり、他人を傷つけたりするからです。だからこの安心感、どこかで神の大きな愛の御手の中にいるという安心感はとても大切です。今日の福音で、「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。」とイエスがおっしゃるとおりです。
 でもそれだけではない。わたしたち自身が本当に愛する者に変えられていくこと。
 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」
 今日の福音の言葉がまさにそのことを示しています。
 愛することから程遠い自分がいることをわたしたちは知っています。イヤというほどそれを感じることもあります。でも父である神の愛を知ったら、イエスの愛に触れたら、少しずつでも愛する者として成長していくことができる。そう信じるかららわたしたちはミサに与るのです。

 イエスの愛に一歩一歩近づいていきたい。
 もっともっと他者のことを思いやれる人間になりたい。
 そう願いながら、今日もミサに与りたいと思います。



復活節第5主日



カリタス南相馬の玄関前。コンクリートの隙間から雑草のように生え出た草に綺麗な花が咲きました。
「シレネ」という名前だそうです。
違いました。「ユウゲショウ」です!
もちろん誰も抜いたりしません!

●復活節第5主日
 聖書箇所:使徒言行録9・26-31/Iヨハネ3・18-24/ヨハネ15・1-8
        2021.5.2カトリック原町教会
 ミサのはじめに
 日本ではゴールデンウイーク。でも日本全国で深刻な感染拡大が続いています。カトリック教会で伝統的に聖母月と呼ばれるこの5月、フランシスコ教皇はコロナ感染症パンデミックの終息を願ってロザリオの祈りを唱えるように呼びかけています。全世界の聖母にささげられた教会で祈りのリレーをするという話もあります。わたしたちの教会もファティマの聖母にささげられた教会ですから、このミサの後でロザリオの祈りを唱えたいと思います。
 このミサの中でも、特別に新型コロナウイルス感染症の全世界的な流行が収まりますように祈りましょう。亡くなられた方々、病気で苦しんでいる方々、医療に従事されている方々、日々の生活を支えるために働かれてくださっている方々、コロナの影響で仕事を失った方々、収入が減って経済的に追い詰められている方々のために祈りましょう。

 ホミリア
 「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝」とイエスはおっしゃいます。どんなイメージでしょうか? ぶどうの木というのはそんなに大きい木ではありません。幹が太いわけでもありません。ここでいう「ぶどうの木」とはぶどうの幹のことではなく、ぶどうの木全体のことです。ですから幹と枝がつながっている、というイメージではなく、それぞれの枝がぶどうの木全体の中にある、というのが、今日の福音のたとえの基本的なイメージです。
 わたしたちが「ぶどうの木全体」であるイエスの中に留まっている、そんなイメージを思い描くことができるでしょうか? ここでいう「ぶどうの木であるイエス」はもはや一人の人間というよりも、何かしらもっと大きなものではないか。イエスの生き方によって完全に現された人間の真の生き方、神からくる生き方、それはヨハネの言葉で言えば「愛=アガペー」なのだと言えるでしょう。

 今日の箇所は実はたとえ話のようなものであり、本当はその後に、たとえでなく、もっとはっきりと語る言葉が続いています。来週の福音の箇所ですが、こうあります。
 「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。」(9-10節)
 そこから考えれば、ぶどうの木とは「イエスの愛」そのものです。
 聖書というのは、哲学論文のようなものではありません。人間と世界の真理を語っていますが、それを抽象的な理論として語るのではなく、とても具体的な人間の物語として語るのです。真理とはイエス・キリスト、あの方があのように生き、あのように死に、そして死に打ち勝って今も生きておられる。そのイエスこそが真理なのです。だから、「ぶどうの木」であるイエスとは、実際に2000年前に生身の人間として生きたイエスでもありますが、同時に、イエスの愛そのものだとも言えます。
 ぶどうの木の中に枝が留まる(=そのイエスの愛の中にわたしたちはいる)と言うのです。それは本当に大きな恵みです。そして、枝の中にぶどうの木が留まっている(=わたしたちの中にイエスの愛がある)のならば、愛の実を結ぶばずではないか、というのですね。これがわたしたちの目標です。はっきりしています。わたしたちがイエスの愛のうちにとどまり、イエスの愛がわたしたちの中にとどまって、わたしたちの中に愛が実現していく。これこそがわたしたちの人生の目標なのです。そうなりますように、祈りましょう。

 今日の福音を読んで思い出したのは、一昨年11月、フランシスコ教皇が日本に来られた時のことです。震災と原発事故の被災者との集いが東京で行われ、南相馬市小高区・同慶寺の田中徳雲住職が証言に立たれ、教皇の前でこうおっしゃいました。
 「何より大切だと思うことは、地球の声を聞くことです。わたしたちは地球の一部、環境の一部です。りんごの木に例えていうならば、一人ひとりが果実だとすると、地球は樹木です。その果実から樹木への意識の目覚めが必要です。樹木こそが、わたしたちの本性です。果実から樹木に意識が覚醒すれば、毛虫が蝶になるように変化が起こり、問題はひとりでに解決されてゆくと思います。」
 徳雲さんが言った「りんごの果実と樹木」のたとえはぶどうの枝とぶどうの木のたとえに似ています。りんごの実もりんごの木全体の一部で、木の中にあるのです。そして「果実から樹木への意識の目覚め」と徳雲さんはおっしゃいました。
 徳雲さんが言った樹木は「地球」であり、「環境」のことです。自分自身をその樹木の果実だと意識できるかどうか、地球の一部、環境の一部だと意識できるかどうか、そこにすべてがかかっているとおっしゃいました。「意識の目覚め」が大切なんですね。
 わたしたちもイエスの愛というぶどうの木の枝であり、その一部であり、その木の中にいるという「意識の目覚め」が、本当に大切なのだと思います。

 コロナ禍にあって、わたしたちには人と人とのつながりがむずかしくなっています。握手することはすっかりなくなりました。パーティーも会食もなくなりました。それでも、わたしたちはつながっています。もしかしたら、コロナ前よりもこのつながりはもっと大切になっています。フランシスコ教皇がおっしゃるように、世界中の人々はこの危機を前にして、本当につながっているのです。
 問題はこのつながりを意識できるかどうかです。わたしとあなたはつながっている。わたしと全人類はつながっている。わたしは人類という大きな木の枝(一部分)なのだ。その意識を本当に持つことができますように。

 ぶどうの木であるイエスとのつながり、イエスの愛とのつながり、地球環境との繋がり、全人類とのつながり、そして具体的な人と人とのつながり、その大切さにわたしたちの意識を目覚めさせていくことができますように。
 ご一緒に祈りましょう。


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復活節第4主日



コロナのため、南相馬市の周囲では、北の仙台市でも、南のいわき市でもミサが中止になっているそうです。
原町教会では、かろうじて今日もミサを祝うことができました。感謝です。

●復活節第4主日、世界召命祈願の日
 聖書箇所:使徒言行録4・8-12/Iヨハネ3・1-2/ヨハネ10・11-18
        2021.4.25カトリック原町教会
 ミサのはじめに
 今日は「良い羊飼い(良き牧者)の主日」。「世界召命祈願日」でもあります。昔は良き牧者である司祭がたくさん生まれますように、と祈っていました。今はもっと広い。シスターもブラザーも、さらには信徒の召命ということも言われる。pastoral workという言葉があります。日本語では司牧活動? でも本当はもっと広い。「羊飼いの仕事」。群れを一つにする。弱い羊を大切にすることによって、群れを一つに集める。それは教会の働きそのもの。その働きにわたしたち皆が与かるものとなりますように。

 ホミリア
 今日から5月11日まで、東京・京都・大阪・兵庫に3回目の緊急事態宣言が出されました。今回の17日間というのは今までで一番短く、中途半端な感じがします。感染症の専門家は最低3週間必要だと言っていました。一方で経済を止めるのは2週間が限界だとも言われました。結局なぜ17日間にしたのかは疑問ですが、決める人の責任の重さはとてつもなく大きなものがあると思います。
 今日は良い羊飼いの主日。ニュースを見ていて、総理大臣や都道府県知事というのもある意味で、羊飼いだと感じました。一方では医療提供体制を確保し、亡くなる人を減らすためには、今、何としても感染者数を抑え込まなければならない、という課題があり、もう一方では、経済を止めることによって、倒産する企業、廃業するお店、失業する人が増えれば、経済的に追い詰められる人が出てしまう。それもあってはならないこと。とても厳しい決断を求められているのだと思います。人間のいのちを守る、その大きな責任が総理大臣や知事たちに委ねられています。すべてのいのちを尊重する賢明な判断ができるよう、首相や知事のためにも祈らなければならないと思っています。

 コロナ禍にあって、教会の指導者もまさに羊飼いだということを改めて感じさせられます。大阪教区の前田万葉枢機卿は4月23日に新しい文書を出し、次のように述べられておられます。
 「(1月の緊急事態宣言の時に出した)文書において主日ミサは不要不急の集まりではなく必要なものであることを思い出していただきました。主日ミサは私たちにとって大切な務めですが、感染拡大が人の生命にかかわる切迫した事態となってきています。このことからも教会における人流を抑制したいと思います。
 新型コロナウイルスの猛威は、従来のウイルスから変異型のウイルスへと変化し感染力を増して私たちの近くまで歩んできています。ご存知の通り、大阪教区内の3府県では感染者数は増加の一途です。日々の祈りの中で早期の終息を祈っていますが、コロナウイルスは姿を変え私たちの生活を蝕んできています。このような状況に鑑みて、以下のようにお知らせいたします。
 1. 緊急事態宣言が発令された地域は、発令中の公開ミサを中止とします。・・・」

 実は第2回目の緊急事態宣言の時、大阪教区では公開のミサを止めませんでした。ミサはカトリック信者にとって、不要でも不急でもない。なくてはならないものだから、という理由で、感染対策に万全を期した上でミサを続けてきました。でも今回は違います。教会内でいくら感染対策をしても、これ以上の感染拡大を止めるためには、教会に来るというような人の動き自体を止める必要がある段階になっているのです。この中で公開ミサを止めるのは、苦渋の決断だったと思いますが、本当にすべてのいのちを守るための羊飼いとしての判断だと言えます。

 香港の司教やミャンマーの司教たちも厳しい状況に置かれています。
 羊のいのちが危機に晒されている中で、牧者として、何を語り、どう行動すべきか。簡単なことではありません。ひどい殺戮や逮捕監禁を免れるためには、抵抗運動をやめればいいかもしれない。でも、肉体的生命だけではなく、人間の尊厳を守るためには、あの、暴力的な軍や専制的な共産党の抑圧を容認するわけにはいかない。非常に厳しい事態。その中で何とか神の子である人間のいのちと尊厳を守ろうとしているのだと思います。
 わたしたちは今日、「良き牧者=良い羊飼い」であるイエスの姿を改めて見つめようとしています。わたしたちはイエスこそが本当の羊飼い、良い羊飼いであると信じています。イエスはどのような意味で「良い羊飼い」であり、何を守ろうとされたのでしょうか?

 イエスは「すべての人の羊飼い」でした。今日の福音はヨハネ10章ですが、この箇所は実は9章から続いています。9章は生まれつき目の見えない人をイエスがいやした話でした。当時の人々の考えでは、この人はどうしようもなく罪の中で生まれた人で、神の救いから遠い人でした。イエスはその人にいつくしみの目を注ぎます。今日の福音では「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。」という言葉があります。イエスにとっては、ユダヤ人だけが自分の羊、とか、キリスト者だけが自分の羊というのはなかったのです。すべての人がイエスの羊でした。
 イエスは「魂の羊飼い」(Iペトロ2・25)でした。イエスは羊を守ります。ただ生物学的ないのちを守るのではありません。羊飼いは羊を知り、羊は羊飼いを知っている、というように、深いつながりを持って羊に関わります。それはただ単にいのちを守るだけでなく、羊であるわたしたちを神のもとに導き、すべての人が神の子としての尊厳を取り戻すことができるようになるためでした。
 そしてイエスは「羊のためにいのちを差し出す羊飼い」でした。イエスは安息日にも関わらず、目の見えない人をいやしました。安息日に労働する者は死刑に処せられる、という律法に反して、目の見えなかった人を助けたのです。それは本当にいのちがけの行為でした。イエスは十字架の死に至るまで。ご自分のすべてを差し出しました。それは人々の痛みや苦しみに共感し、すべての人の痛みと苦しみを引き受けた死でした。

 わたしたちはこの羊飼いを知っています。だからわたしたちも何とか、このイエスの羊飼いの仕事に連なっていたいのです。
 フランシスコ教皇の言葉で「羊の匂いのする羊飼い」というのがあります。教会の司祭は羊の上に立って、ただ羊を管理しているだけのような司祭ではダメで、本当に羊とともにいて、羊の匂いが染み付いているような羊飼いでなければならない、という意味です。わたしたち司教・司祭に厳しく反省を求める言葉です。と同時に、それは司教・司祭だけでなく、わたしたちキリスト者全員のテーマでもあります。
 わたしたち皆が「羊の匂いのする羊飼い」であるイエスの心に少しでも近づいていくことができますように。ご一緒に祈りましょう。